08021001.jpg左の画像は、坪井最後の代表選出となった、2008年2月6日水曜日雪の中おこなわれた、2010南アフリカW杯アジア3次予選、日本代表vsタイ代表戦のパンフレット内の選手紹介より。

8日、仕事中に「坪井、代表引退」というそんなニュースタイトルをネットでチラリと見たのですが、
『へ? 坪井さん代表引退? 早すぎるでしょ。でも、まアしょうがないか。疲労たまりすぎでしょ。身体的に持ちこたえられなかったんだねえ。責任感の強さの表れだネ』
と、びっくりした反面、瞬時に納得したのも確か。なので記事内容は帰宅してからゆっくり読みまして(ニュースタイトルによっては、仕事中にもかかわらず瞬時に記事まで読んでしまう場合もあるのですが)。

この5年間レッズを見ている人にはそういう感じの人が多かったんではないかなあ…。


とりあえず、坪井選手が所属する浦和レッズからの声明文をば。

08.02.08
坪井慶介 日本代表についてのメッセージ


日本代表メンバー選出にあたって、坪井慶介からファン・サポーターの皆様へメッセージです。

坪井慶介コメント
「代表チームに対して、辞退、あるいは引退、どちらが適切かはわかりませんが、そういう決断をしました。責任が伴う決断ですし、簡単に決められるようなことでもないと思ってたんで、いろいろ自分なりに考えていました。代表に呼ばれていながら長い間出られなかったということがこの決断に大きなウェイトを占めていることは間違いないですが、自分自身の力がないだけの話で、誰の責任でもないです。ただ、代表チームというのは試合に出ることがすべてではないということはわかってやっていたつもりでした。それでも、一方で選手としてはピッチに立ちたいという気持ちはあるし、そこでの精神的な葛藤がつづくにつれて、相当なストレスを感じるようになっていました。
ああいう形で監督が代わって、気持ちを新たに臨んだつもりだったんですけど、なかなか気持ちの部分と体の部分がうまくいってないなと感じて、このままこういう状態が続くのであれば、代表チームにも迷惑をかけることになるかもしれないし、それでレッズに帰ってきてパフォーマンスが落ちるようでは、やっぱり駄目だって思いました。プロとしての原点はやっぱり浦和レッズにあるし、レッズでやってきたからこそ代表チームの一員になれたと思っています。そのベースが崩れてしまってはやっぱり駄目だなと思って、こういう決断になりました。自分としては、投げ出したくてとか嫌だとか、そういうのではないんです。しっかり自分の中で気持ちの整理をつけて、前に進むための選択だと思っています。非常に前向きなものです。これからも浦和レッズでもっとしっかり自分を鍛える、自分を向上させていきたいと思ったからこその決断です。
代表での経験はやっぱり特別なものだったと思いますし、かけがえのない経験でした。でも、もちろん、悔しさのほうが多いですけどね。何も得なかったわけでもないし、でも、ワールドカップで悔しい思いをしたし、そういう意味では、いろんな思いがありますね。でも、それよりも今は浦和レッズのために、自分がもっともっと精神的に強くなることが必要だし、もっともっとサッカー選手として成長したいと思っています」



(2008年2月8日06時02分 スポーツ報知)
坪井、代表引退!日本最速ストッパー28歳の決断
日本・タイ戦をベンチ外となり、スタンドから観戦する坪井

 2006年ドイツW杯にも出場した日本代表DF坪井慶介(28)=浦和=が、代表を引退する意思を固めたことが7日、明らかになった。6日のタイ戦前に岡田武史監督(51)に伝えており、試合後、指揮官から選手に報告された。代表キャップ40試合の快足ストッパーは、今後は世界進出計画を進める浦和の躍進に、全身全霊をささげる。

 日本最速のストッパー・坪井が、28歳というキャリア最盛期に代表引退を決断した。タイ戦快勝劇で高揚する6日夜の埼玉スタジアムのロッカールームが重苦しい雰囲気に支配された。「残念な知らせがある…」日本サッカー協会関係者によると、複雑な表情を浮かべた岡田監督は死闘を終えた選手に対し、坪井が代表引退の決意を固めたことを報告したという。

 坪井はタイ戦前の段階で岡田監督と去就会談を持った様子。タイ戦では登録メンバー18人から外れたものの、戦力として評価する岡田監督は強く慰留した模様だが、坪井の意思は固かった。8日にメンバー発表となる東アジア選手権にも参戦せず、日の丸の舞台から去ることになる。

 日本代表通算40試合に出場。一瞬でトップスピードに乗る快足とカバリング能力をジーコ監督に評価され、03年に代表デビュー。常に笑顔を絶やさぬ人格者も人知れず苦闘の日々を送った。04年7月のスロバキア戦で左太もも裏腱(けん)及び筋断裂で全治半年の長期離脱を強いられた。療養中、ベッドから自力で起き上がれず夫人に支えられた時、絶望の淵(ふち)に立たされた。06年ドイツW杯では初戦のオーストラリア戦で、原因不明の両足けいれんで無念の途中交代。誰よりも1次リーグ敗退の悔しさを噛(か)みしめた。

 早すぎる代表引退の理由は、愛する浦和のためだった。昨季アジア王者となり、トヨタ・クラブW杯でも3位に輝いたチームの躍進に全精力を注ぎ込むつもりだ。レッズ一筋7年目の坪井は、今後、サッカー人生のすべてを赤い悪魔にささげる。

 ◆坪井 慶介(つぼい・けいすけ)1979年9月16日、東京・多摩市生まれ。28歳。三重・四日市中央工、福岡大を経て、02年に浦和入り。フル代表デビューは03年6月のパラグアイ戦。06年ドイツW杯のオーストラリア戦、ブラジル戦を含む国際Aマッチ40試合に出場し、0得点。スピードを生かしたカバリング能力が特徴のDF。179センチ、67キロ



2月9日16時16分配信 毎日新聞
サッカー 坪井慶介が日本代表引退を表明 クラブに専念
2008年2月8日練習後に取材に応じ、代表引退を表明する坪井=さいたま市

 サッカーの06年ワールドカップ(W杯)ドイツ大会に出場したDF坪井慶介(浦和)が日本代表引退を表明した。今後はクラブでのプレーに専念する。代表出場は40試合。28歳と衰えが目立つ年齢ではないが、10年のW杯南アフリカ大会を目指すメンバーに選ばれながら、出場機会に恵まれない境遇に悩んできた姿が浮かぶ。

 坪井は福岡大を経て02年に浦和に入団。俊足を生かしたカバーリングを武器に1年目でレギュラーとなり、Jリーグ新人王を獲得した。

 代表デビューは03年6月のパラグアイ戦。代表監督がジーコ、オシム、岡田と代わる中でも招集され続けた。だが、07年6月のモンテネグロ戦を最後に出番を失い、今月6日のW杯アジア3次予選初戦のタイ戦はベンチ入りからも外れた。センターバック争いで中沢佑二(横浜マ)、阿部勇樹(浦和)、水本裕貴(ガ大阪)の後塵を拝した格好だ。

 1月末に岡田監督に代表引退の考えを伝え、タイ戦後にも話し合った。坪井は8日、さいたま市内で練習後、「出られない悔しさがあった。選ばれているからには代表チームのためにやらなくてはと、葛藤(かっとう)、ストレスがあった。出られないのは力がないから」と話した。

 浦和の中村修三ゼネラルマネジャーは1月末に坪井と話し合った。だが、「日本を代表する選手が長い時間考えたこと」と翻意は促さなかったという。浦和は昨季、アジア・チャンピオンズリーグを初制覇した。「クラブとして世界に出たことも大きかったかもしれない」と、クラブでのプレーを選択した気持ちを代弁する。

 元フランス代表のMFジダンなど、海外では現役は続けながらも代表は退く例はある。国内では、W杯ドイツ大会後に中沢が代表引退の意向を示しながら後に撤回した例があるものの、珍しいケースだ。坪井は「言ったからには戻ることはない」と、代表引退の重みをかみしめていた




昔々学生の頃は、代表拒否したり、これだったらクラブでプレーしていたほうがイイとか言う選手、代表辞退する選手らに、
「んなにをおォ、お前ら、代表を何だと思ってるんだ。日本人なら、つべこべ言わず代表チームに全身全霊を傾けろぃ、それが日本人としての勤めだろが。それができないなら、草サッカーしてろぃ!」
などと熱く思っていたものですが、最近はそうは思いません。

まず第一に、クラブでのレギュラー争いの熾烈さを思えばこそ。
 自分が代表召集で不在時に、とってかわられるかもしれない。そして奪われれば奪取するのがいかに大変か、わかり始めてきたから。

第二に、代表戦の過酷さを思えばこそ。
 クラブでの国内での試合に加え、代表での試合、移動などの過密日程の過酷さ。そして代表内でのレギュラー争い、精神的重圧、国際試合の強烈な身体のぶつかりあい、など理解できるようになってきたから。

第三に、メンタル保持の難しさを思えばこそ。
 よく、海外の代表ではGKのライバル同士が険悪なムードだったり、ののしり合戦をしたり、とかいう話をききますが(日本だって、試合に出ている選手に強烈なビームを飛ばしているGKがいた、とかいう話は以前はきいたものですが(笑))、ここ数年の日本代表は『控えも含め、ファミリーだ! だから控え選手も代表選手として代表を盛り立ててくれ』というような雰囲気。
確かにそう思いますよ。
そのほうが試合に出た選手も気持ちよくプレーできますし、変な邪念なく自分のプレーができます。そして控え選手も途中からでも試合に出た時に気持ちよくゲームに入れるでしょうよ(まあ、逆に邪悪なエネルギーで火事場の馬鹿力なプレーができるという形もあるでしょうけど)。
誰かが不穏な空気を出せば、チームは不穏な空気になるわけで。
だったら、ちょっとした事でも本心じゃなくても「ナイスプレー」と声をだすことで、はつらつとプレーしたい。誰だって、褒められればハツラツとするでしょうしね。それがチームプレーというものかと。
…ただね、自分が大変な時に、本心じゃなくても「ナイスプレー」と声をかけるというのは思っている以上に難儀なことなんですよね。
完全なる控え選手であろうと、後輩を、新人を、ライバルを、遊び友達を、皆をサポートしていかなくてはならない。それも1試合ならいいけれど、それが何試合も何大会も続けば…。
心の中の葛藤、苦しみはいかばかりか。

自分の心を殺してチームに尽くす、献身する。それがチームプレーというものでしょう。そういうものを乗り越えてこそ、チームプレーであり一流選手という向きもあるでしょう。
が、社会人として会社員として組織に属している私は「そりゃそうでしょうよ、プップー」と尻向けたくなってしまいます。
自分のお願いしている仕事をまともにやってもらえず、逆に「ん! これ!」と無言で彼の仕事を押しつけられ、「じゃあ、あの件もお願いしますよ。じゃないと先に進めないんですよ」と何度お願いしても一方的に偉そうに(またはキレられながら)彼の仕事をつきつけられるだけ。
…そんな人間に笑顔で、普通の顔で何度でも「お願いします」とお願いし続けるのも限界があるというわけです。次第に朝の挨拶を交わすことさえ
「(ちッ、やってらんねえよな。そのふんぞり返った顔も上機嫌な顔も見たくねえ。何がおかしいんだ、この野郎)おはようございます」
と苦痛になるわけです。

と、まあ、上のような感じで、組織に属するメンタルの難しさを金をもらう身になって感じている以上は、坪井選手らの苦悩もわからなくもないのです。たとえ他人事でも。

坪井選手の場合は、自身のことに加え、クラブや代表への責任感も強く感じていたことが、今回の代表引退につながったんだろうなア、と彼の真面目な責任感に不憫にもなってしまうのです。
そんな坪井選手だからこそ、私たちも好きなのですがね。

坪井選手の前向きな勇気ある決断に、敬意をおぼえます。

だって、こう宣言することって一種の「オレ、こんなこと考えてました。苦しんでました」と心境暴露なわけで、そして協会へのおぼえも良くはないと思うんですよね。
だったら代表召集されている間は何も言わずに漫然と参加していればいいわけで。
ただ、真面目な彼は考えに考え、そしてギリギリのところまで追い詰められていたのでしょうね。そして、それは自分のためにもクラブのためにもならない、ときちんと考え、そしてケジメをつけたのでしょうね。

だから、坪井選手の代表引退については、あーだこーだは言いません。
(もちろん、プレーを評して「おしい、残念だ」とは言いますけれど)
ただ、ただ、

お疲れ様でした。
代表での姿は忘れないよ。


と。そして、その前向きな決断に敬意を。


 代表での矢のような守備を忘れないよ。

2008.02.11 Mon l 日記 l コメント (0) l top

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